はじめの一歩を踏み出そう 大阪でワークショップ企画 「第7回いとテラスcafé 人間関係をキラキラ照らす!(2025/12/15@ONtheUmeda)レポート編」

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いとテラスcafé 始まります!

いとテラスcaféは、私いとやんがご紹介したい毎回各分野でご活躍中だったり、世の中の興味を惹く活動をされていたりする人物に光をあて、鋭く迫る至高の一時間です。

イメージ的にはラジオ放送のように、暖かい飲み物を飲みながら。

また、ゲストの方に質問をするなど参加の仕方はなんでもOK!

人それぞれ感じ方は違うかと思いますが、あなたが初めの一歩を踏み出すきっかけになり、ワークショップを通じて多様な人や分野とつながるお手伝いをする機会を創り出すことが、私にとってのミッションであると考えています。

おそらくONtheUMEDAの企画史上、ダントツの緩さと自由度でみなさんをお迎えいたします(周囲の人への迷惑や進行上の妨げにならなければなんでもOKです)

今回のゲストは人間関係で泣く人をゼロにする専門家 肥田裕久(ひだ ひろひさ)さん 専門性の根っこにある「痛み」

(いとやん:以下いと)みなさん、こんばんは!本日はいとテラスにお越しいただき、誠にありがとうございます!私は心理イベントクリエーターとして活動しており、NLP心理学を軸に叶えたい目標や様々な人を結ぶ「心の駅」をつくる取り組みを行っており、この「いとテラスcafé」もその一環になります。さて、今回のゲストは円滑なコミュニケーションをテーマに活躍されておられる肥田裕久(ひだひろひさ)さんです。実はこの方、子どものころはかなりの引っ込み思案。人前で話すのが得意どころか、むしろ避け続けてきた半生だったそうです。そんな彼が、なぜ今“人の心と向き合う仕事”をしているのかじっくりお話を伺っていきます。肥田さん、今日はとても楽しみにしておりました。では、まず初めに今のお仕事を初めて会う人にも伝わる言葉で教えてもらっても構いませんか?

(肥田裕久さん:以下肥田)人間関係やコミュニケーションに苦手意識を持っている人、例えば、言いたいことがあるけどうまく言えない、相手の言ったことを正しく聞けていない、話すことに抵抗はないけど分かりやすく話せない、つい感情的になって余計な事をいってしまったりなど、コミュニケーションのあるあるの問題を解消するために、心理と論理の両面から二人三脚で徹底的にサポートしています。

(いと)ありがとうございます。そんなコミュニケーションのプロである肥田さんですが、子どもの頃はどんな少年でしたか?今の姿からは想像しにくいのですが(笑)

(肥田)引っ込み思案でしたね…。けっこういじめられた経験がありまして、それがきっかけで他人との距離だったりコミュニケーションをとったりすることに苦手意識が強くなりました。忘れもしないのが小学4,5年生の頃だったのですが、「お前は調子に乗るな」、「お前は黙っていろ」など自分を出すことを否定され続けました。そう言われると、「自分は何も言わない方が良いんだ」、「黙っていた方が良いんだ」と思うようになっていくんです。そのせいで、自分の気持ちが入った言葉が出せなくなってしまった。受け身一辺倒になって、なかなか辛い少年時代だったんですよ。

(いと)辛かったその頃、安心できることや居場所ってありましたか。

(肥田)安心できるのは家の中が一番でした。

(いと)コミュニケーションをとらない?

(肥田)うん、とらない!それが楽でしたから。人と関わらない選択をしていたんです。

(いと)コミュニケーションが遮断されている状態ですよね。しんどかったのは、その出来事それとも気持ちでしたか?いかがでしょう?

(肥田)しんどかったのは嫌なことをされることが一番きつかったですね。相手にされないということは攻撃されないので安全なんですよ。相手から攻撃されたときに言い返せなかったのがもっともつらかったです。

(いと)そうなんですね…。理不尽なことを言われてもあいまいな態度に終始しちゃう?

(肥田)そうですね。言い返すこともやり返すこともできず…。

(いと)自分の思いを伝えることができないのは辛いですよね。

(肥田)ええ。

(いと)この状態が学生時代だけではなく、社会人になってからもなかなか自らの伝えたいことを言えない状態が続いていたのだとか。もし今の肥田さんが当時の肥田さんに声を掛けるとしたら何と言いますか?

(肥田)うーん…、「それ勘違いやで」と言いますね。

(いと)勘違い?

(肥田)人が聞いてくれないという思い、「それは勘違いやで」と。正しく伝えると聞いてくれるからと。

(いと)でもそんな観点、当時はなかったんですよね。

(肥田)全くなかったですね。

(いと)世の中全てが敵だらけに見えませんでしたか?

(肥田)そうですね。敵ばっかりという訳ではないけれども、信用できない。疑いを持ち続けている感じかな。

(いと)信用できないから常にピリピリ。交感神経全開って感じですか?

(肥田)常に緊張しているとか、警戒しているとか…。そんな感じでしたね。

(いと)胃を痛めるとか、なかったですか?

(肥田)胃は丈夫だったのでそこは良かったんですが、ストレスが溜まると口の端が切れたりしましたよ。

人生が動き出した瞬間

(いと)そんな転機がシナリオ作りだったとか?当時の職業とは関係なかったんですよね?

(肥田)当時は製造業でしたからね。品質管理の仕事で図面通りに加工物が仕上がっているかどうかチェックしていく内容でした。

(いと)コミュニケーションから距離がありそうなお仕事ですね。

(肥田)加工者に対して「図面とは違いますよ」などのコミュニケーションはあるんですが、それだけですね。

(いと)たしかテレビ局のシナリオ審査に応募してかなりのところまで進んでいたということですが、その頃から書き始めたんですか?

(肥田)シナリオは習い始めてから書くようになりました。講義で書き方やストーリーの作り方を学んで、実際に作品を書いてプロの先生に添削してもらいながら、書き方を学びました。そんななかで自分の実力を知りたいと思い始めたときに、テレビ局での公募を知ったんです。初めて応募した作品は、一次審査は通過したのですが、二次でダメでした。これが悔しくて、気合いをいれて次に送った作品は三次審査まで進んだんです。

(いと)それって結構すごいことじゃないですか?

(肥田)結構すごいんですよ(笑)

(いと)そもそも何次審査まであったんですか?

(肥田)最終審査が四次審査までなので、一歩手前までということですね。1830作品のうち30作品までに残ったんです。

(いと)やっぱり、すごいじゃないですかー!

(肥田)でもその壁が突破できなかったんです。なかなか厳しい世界ですね。

(いと)そうなんですね。ちなみに、シナリオを学ぶようになったきっかけは?

(肥田)先ほどもお伝えしたように、「お前は何も言うな、黙っていろ」みたいなことをずっと言われ続けた訳です。それで声を出すことが出来なくなったわけですが、言いたいことがないわけじゃないんです。でもそれを直接、声にすることができないんですね。そこで、直接、口で言えなくても、作品を通してなら心の内をだせるんじゃないかと考えたわけです。本を読むのは好きだったので、小説を書いてみようと思うわけですが、まずはある程度の基礎を固めたほうがいいと考えて、スクールを探したんですね。でも仕事の都合で通うことができず、他を探してみると、土日にやっているシナリオスクールを見つけたんです。小説もシナリオも、文字を書くことには変わりないので、軽い気持ちでシナリオの世界に飛び込みました。

(いと)シナリオにたどり着いたのは偶然でも、自らの思いを放出する場を探していたということですね。それがあたった?

(肥田)それが僕には肌に合っていたということで、それから20年ほどシナリオの勉強が続きましたね。今は既にシナリオからは離れたんですけど。

(いと)シナリオを作っていくなかで気付いたことがあれば…。

(肥田)シナリオにはシーンってあるじゃないですか?そのシーンの順番を考えることを構成立てというのですが、いかに面白くてわかりやすく、惹きつけられるのかを考えながら順番を考えないといけないんです。それをずっと考えていくなかで、どういうふうに伝えると「わかりやすく人に伝わるのか」とか「興味・関心を惹きつけながら話せるのか」といったスキルが知らないうちに身についていったんです。その中から話すことそのものに対して「聞いてくれているんだな」という感覚が少しずつ確かなものになったんです。

(いと)今までのなかで初めての感覚かもしれませんね。

(肥田)そうですね。

あらん限りの勇気をかき集めて自分の気持ちを伝えた結果…

(いと)肥田さんは「伝わると相手はきいてくれる」とよく仰いますよね。それに気付くとこれまでの人間関係がキラキラ照らされるように感じたかと思います。今までとどう変わりましたか?

(肥田)「ちゃんと認めてくれるんだな…」と。これは仕事場での話なんですが、何も言えないとなると断ることも、反論することもできないんです。そうすると自分の仕事以外の面倒な仕事が割り振られていくんです。誰がやってもいい、でも超絶面倒くさい仕事ってありません?そんな時に「私の仕事ではありません」とは言えないんですよ。結果的に引き受けるしかないんです。1個、2個の仕事ならば「みんなも助かるだろう」と自分に言い訳をしつつ言い聞かせますが、それが10個の仕事になるともう耐えられないですよ。

(いと)それは限界ですね…。

(肥田)そうですね。ウツとまではいかないまでも、生きていても何も楽しくなかったです。そんなときにアドラー心理学に出会って、有名な「すべての悩みは対人関係の悩みである」という言葉を知ったんです。そのときは衝撃でした。まさに、その通りだと思ったんです。でもそこで終わらずに、どうしてこんな状況になっているかを考えたとき、そもそも会社の人とコミュニケーションが取れていないことに気がついたんですね。そりゃ人間関係もつくられるはずないわけです。そこからシナリオだけでなく、コミュニケーションの勉強を徹底的にしていきました。それからほどなくして、仕事の負担もMAXになって「これは限界だ、潰れてしまう」と思い、次に依頼が来たら「断ってやろう」と心に決めて出社したんです。でもその時に限ってですよ。会社の中でもっともコワモテで声のでかい人から「肥田、これやっといてくれへんか?」って言われたんですね。ついに来た…と(笑)僕はそこで引かずあらん限りの勇気をそれこそ何から何までかき集めて、「すみません。いまこれだけの仕事を抱えていてその仕事をする余裕がありません。もし今抱えている仕事を誰かが引き受けてくれるなら、その仕事を引き受けることもできるのですが、いかがでしょうか?」って答えたんですね。そうすると彼は「そうなの!?そんなに忙しいならこっちでやっておくから」と言って、あっさり引き下がったんです。強引に押し付けられるわけでもなく、その時は「マジで~!」と驚きましたよ。その時から「自分がしんどい」と言えば相手はある程度考慮してくれるんだということに気付いたことが、僕にとっては本当に大きな転換点でした。

(いと)人生の中で大きなターニングポイントですね。言えば通じるんだと。

(肥田)言えば聞いてくれる…と。

(いと)それでそこからコミュニケーションに関わる仕事を始めて見ようと…?

(肥田)今の仕事にいきつくには、まだかなりの時間はありました。

現在の仕事につながるきっかけを辿る

(いと)今の仕事を始めたのはコロナ前ぐらいでしたっけ?今は約5年間ということになりますが、コミュニケーションの仕事をやってみようと思うことになった決定的な理由はどんなことだったんですか?

(肥田)これはね、全部話すと1時間は軽くかかるのですが…。

(いと)それはやめて下さい(笑)

(肥田)ぎゅっと凝縮して話すと、きっかけはシナリオなんです。構成立てをすることで分かりやすい話し方のエッセンスを理解することができました。ということは、他の人も構成を考え続ければ、そうなれると考えたんですね。だからと言って、シナリオを書くのは現実的じゃないですよね。かなりの労力が掛かってしまうので。そこで誰でも簡単に構成力を高める方法はないかと考えていたとき、思いついたのがマンガのコマ割なんです。マンガのコマはシナリオのシーンと同じなんですね。なのでマンガをコマ単位にバラバラにしたものを、元のマンガの順番に並べ直すことで、情報整理の力が養われるんじゃないかと考えたんです。マンガを活用した知育玩具ですね。それを「マンがパズル」として特許も取得することができました。ここまでくると、せっかくならこれを商品化していきたいという想いがでてくるわけです。でも、ただの会社員ですし、人脈も資金も販売ルートもありません。そこでどこかの会社とタッグを組めたら、実現できるんじゃないかと考えたわけです。でも、いきなり乗り込んでもきっと門前払いになるだけだと考えたんですね。そこで、実際にこのパズルに取り組んだ人の好意的な声を集めれば、それが商品の良さの証明になるんじゃないかと閃いたんです。マンガパズルの目的は「分かりやすく話すためのスキルアップ」ですから、誤解のない話し方のセミナーを開いて、そこでワークとしてマンガパズルに取り組んでもらって、参加者の声を集めることにしたんです。

(いと)ほう…。

(肥田)それとセミナーを行うなかでとある本に出会ったんです。それには「セミナーをするだけでは意味がないよ。深いサポートをしないと相手は変わらないよ」という内容が書いてあって、「ああそうか!」と合点しました。そこでより深いサポートのプログラムを作ろうとしたんですが、結局枠組みしか作らなかったんです。

(いと)うん?中身は細かく作らなかったということ?

(肥田)ええ、というのも、中身を作ったところで、誰も受けようとは思わないだろうと思っていたんですね。なので、取りあえずの建て付けだけを作って、ホームページに載せていたんです。そこでセミナーに来ていただいた方に、「こんなことやっているのでよかったら見てくださいね」と一言付け加えるくらいのアピールしかしていませんでした。売れるとも思っていなかったので(笑)。それから2~3か月後にある参加者から「あの講座受けたい」という連絡が!でも電話を受けた時は会社の中だったので長話をできる状況になかったんです。もう断るか受けるかの二択しかないんですけど、せっかく「受けたい」と伝えてくれているのだから何とかしてあげたいと思うじゃないですか。

(いと)もちろん、もちろん。

(肥田)そうして引き受けたものの中身はすっからかん(笑)そこから作って、作って、作って…しながら5か月間クライアントさんをサポートすることで劇的に変わったんです。

(いと)具体的にその方はどう変わったんです?

(肥田)その方は大企業の方で実業団などのスポーツ枠で入社された方でした。その方も社員なんですけど、周囲の人はそこそこの大学を出ている人ばかりなんですね。その方はこれまでずっとスポーツのみに専念していたので、「勉強は苦手だ」と思い込んでいたわけです。「自分は学歴もないのに周囲の人と渡りあえるのか」といった劣等感をずっと抱えてきた人だったんです。その方は30歳近くの方でしたが、「なんとかしたい」とおっしゃるのでサポートさせてもらった結果、今までは会議で意見を求められても「特に何もありません」としか言わなかったのが、拙くとも自分の意見を言えるようになっていきました。そうなると1か月ぐらいで周囲の人に「なんか変わったよね!」と言われるようになったそうです。実際、「この頃仕事が楽しいんですよ」と明るい表情で話してくれました。

(いと)素敵な話だ…。

(肥田)その後、会社内での企画コンペがあり、その方は以前から「こんなことやれば会社や社会貢献につながるだろう」という案を持っていたようです。しかしこれまでは「どうせ言っても聞いてくれないだろう、相手にしてくれないだろう」とあきらめていたんです。ですが今回はこの案を出してみようと決意したんですね。そこからはご想像通りですよ。その企画が通ってプロジェクトリーダーに抜擢されたんです。まさに「目の前で人が変わっていく」というのを目の当たりにしました。

(いと)これはかつての肥田さんと同じですね。

(肥田)そうなんです。その方と最初に会ったときはどこか暗い感じだったんですが、ずっと笑顔になってきていましたよ。

(いと)きっと世界が変わって見えたんでしょうね。

(肥田)そうだと思います。それまではきっと「どうせ、こんなもの」と思っていたかもしれませんが、やってみればできることに気づいて、どんどん積極的に挑戦できるようになっていったんです。まさに世界が変わったのだと思います。そして、人ってこんなに変わるんだというのを目の当たりにしたとき、当時は副業状態だったんですが、「これ本当にいいなあ」と思ったんです。そこから本腰を入れ、「こんなサポートしますよ!」と訴えていくととんとん拍子に「肥田さんのサポートを受けたいです!」という人が増えてきて、これなら仕事にできそうと確信して会社を辞めました。

(いと)すごいなあ!

(肥田)多くのクライアントさんが変化を遂げていますよ。

(いと)いやあ~これはすごく嬉しいですね。

(肥田)ええ、嬉しいです!

肥田さんがコミュニケーションで彩る未来とは

(いと)先日打ち合わせをした時に「この仕事を続ける際に最終的にどうなっていたいですか?」と伺いました。そうすると「肥田さんがいてくれてよかった」と言ってもらえるようになりたいと仰っていました。素敵ですね。

(肥田)最高ですよね。

(いと)たしかに現実的に肥田さんと関われる人は世界の中でもごくわずかかもしれません。でも世界のどこかで「本当はこんなことを言いたいんだ」と思いつつもそこに留まっていたり、人間関係で我慢したりしている人は多くいらっしゃるでしょう。そんな方々に一言かけるならどんな言葉をかけますか?

(肥田)難しいですが、そうだなあ…。「変われないと思っているかもしれないけど、実は変われるんですよ」って伝えたいですね。というのも、人とうまくコミュニケーションが取れない人は、「私には無理」っていう間違った思い込みを持っているだけなんです。でもそれはただの思い込みに過ぎなくて、やろうと思えばできちゃうんです。そういった成功体験をぜひ積んでいってほしいですね。

(いと)私も「はじめの一歩を踏み出そう」というコンセプトで活動しているのですが、一つ関所を超えると、あとはご自身で走り抜けられるイメージなんです。その思い込みを破って一歩前に進めるアシストができればいいなあと思っているんですよ。なので、肥田さんのお話しにすごく共感しています。

(肥田)実は面白いことに、壁って、乗り越えた瞬間に壁ではなくなるんです。

(いと)それは、どう言う意味ですか?

(肥田)多くの人は、新しいことに挑戦しようとするとき「自分には難しい」と感じることがありますよね。それは心配であったり、恐怖であったり、多くの場合で感情による抵抗がほとんどなんです。そのとき、壁を登るには勇気が必要なんですね。さっきお話した、仕事を頼まれたときに断ると決めたとき、勇気をかき集めて「断る」という壁を登ったわけです。そして、驚くほどあっけなく断ることができたんです。そのとき、僕の後ろには、さっきまで見えていた壁がどこにもないんです。つまり「断れない」という壁を乗り越えて「断れる」ようになったことで、壁が消えたんです。それもそのはずで、壁を乗り越えた先は、その壁の高さの分だけ上に上がることができるんです。なので、後ろには壁なんかなくて、これまでよりも高いところかの風景が広がっているだけなんです。すると面白いことに「今までなんであんなことに苦しんでいたのだろう」と、少し前の自分が可笑しく感じるんです。そうなると、面白くて、次に新しい壁が目の前に現れても「難しいと思っているのは自分の思い込みでしかない」と思えるようになるので、次のチャレンジの一歩が軽くなっていくんです。

(いと)なるほど。でも、そこに到達するまでにあきらめている人が相当数いるんでしょうね。

(肥田)そうですね。だからこそ「それはただの勘違いやで」と伝えたいんです。本当はもう、その壁を登る能力も準備も整っているんです。でも「自分には無理かも」という勘違いのせいで、登ろうとしていないだけなんです。でも壁を登れば登るほど、見える景色はどんどん広がっていくし、爽快な気分になることができるんですよね。そういった経験を積み上げてもらうために、サポートをしているんです。

(いと)壁を超えることなく一生を終えるなんて、もったいないですよね。さて、もう時間がこんなに経ってしまいました。ここからは参加者の方にも入っていただき、質疑応答やケーススタディ、ちょっとしたご相談などを行っていきます。引き続きよろしくお願い致します!

編集後記

いとテラスcaféでは今社会で関心が強まり、注目されているテーマを巡ってたくさんの方からお話を聴いていきます。

後半は質疑応答が積極的に行われましたが対人関係に関するものだけでなく、今回のターニングポイントにもなったシナリオ作りに関することについても注目が集まりました。

自分の意見を言うことにあきらめていたかつての肥田さん。

現在は本当にコミュニケーションにおいてはプロフェッサーともいえる存在であり、それはてっきり生まれ持っての才能をお持ちなのかと思っていました。

もちろん天性の才能はお持ちであったかとは思いますが、逆境に耐えつつも転機でありったけの勇気をかき集めて行動したのが今に繋がっているのかもしれません。

肥田さんの強さは「自分の思いを表現できない」経験があること。

だからこそ、同じことに悩み苦しむ人々に勇気づけ、最適なサポートが行えるのでしょう。

コミュニケーションで世界をキラキラと照らす肥田さんの今後に期待です。

自らの思いが伝わると、相手は必ずきいてくれるのだから。

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みなさま、この一年本当にご愛読、お付き合いくださりありがとうございました!ぜひ来年もはじめの一歩を踏み出せる一年になりますように!

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この記事を書いた人

教育業界に20年以上携わってきましたが、気づかぬうちににストレスで潰されそうに。そんな時に偶然に出会ったNLP心理学によって物事の捉え方が大きく変わりました。一歩前に進めるスイッチの押し方により人生が音を立てて動き出す。そんな実感を一人でも多くの方と共有していきたいと思います。

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